ふたつのキュレーター仕事終了

1)ST Spot ラボ20 #21

2009年6月20日(土)~21日(日)

本当に大切なことは、見えないところから始まっている。「ダンスの作品を創る」と言っても、つくる手がかりになるエネルギーの発端は、自分でも知らないうちにそっと動きだすものだ。オーディションなんかとは全く無縁な遥か昔のある日ある時。その動き出した何かと、出会えて私は幸せだ。誰かが自分の本当の欲求をはち切れそうに、率直に追い求めて手を伸ばしている様をみると、私の奥の方からエネルギーが満ちてきて非常に元気になる。この舞台では、欲求する彼らの姿を目撃するだろう。そして自分が突き上げられる、これ以上の至福は無い。
手塚夏子

キュレーター 手塚夏子
出演 石田陽介+松原東洋(Yosuke Ishida + Toyo Matsubara)
   井上大輔(Daisuke Inoue)
   柴田恵美(Emi Shibata)
   下司尚実(Naomi Shimotsukasa)
   辻田暁(Aki Tsujita)STスポット ラボ20http://stspot.jp/recommend/lab20-21.html

STのホームページ

公開ディスカッション 2009年6月4日(木)会場:STスポット

【ラボ・アワード受賞者】

井上大輔『百年の身体』

石田陽介+松原東洋『二人は雲の中』


【全体評】

今回は、自分が「感じている事」に向き合い続けましょう、というようなことを言い続けていました。舞台の上で、生まれ続けるように居る、深い実感が動きを生み続けているようにということも言いました。それは、やっていて自分で鈍感になりやすいポイントかもしれません。私とのコミュニケーションを通して皆さんその部分に少しずつ挑んでくださったことがうれしかったし、それによってハッとするような瞬間に何度も出会いました。それから一週間以上経って、新たに思い至る事がいくつかありました。

自覚的な欲求と潜在的な欲求は必ず矛盾しています。自覚的な欲求に縛られないようにするには、自分の欲求に問いかけるしかないかもしれません。または、欲求と反対の事をするとか、一箇所にとどまり続けずに、押してダメなら引いてみるという精神がとても大切です。試行錯誤は、ある程度精神力がいります。リラックスも必要です。そういう状況をつくるにはどうしたらいいか、自分の状況自体を自分で旨く開拓して行く、自力で何もかもやるということでなく、例えば誰かと合うとリラックスするとか。

また、「自分という体が作品」という次元を逸脱することが、本当の意味での「作品性」に近づく事だと感じました。ソロであっても、自分の中に構造を見つける。自分に対しての批評性を持つ、コントラストを利用する事で、認識する。自分の視点いくつか持つことによって、物事が立体的に見えて来ると思います。

そして、転んだり、恥をかいたりする体力をつけましょう。自分に批評性をもつことができると、本当の意味で自分を信じる力がつくのかもしれません。私自身にとっての課題でもありますが。

私は、誰かに対して教育とか与えるとかそういうことではなく、自分に突きつけたり、何かを見いだすことにキュレーターの意義を見いだせると強く感じました。ありがとうございました。

STスポットの記事l



2)新人振付家のためのスタジオシリーズ
Whenever Wherever Festival 2009参加

6月27日(土) 28日(日)

新人振付家のためのスタジオシリーズ
深沢理恵(キュレーター 厚木凡人)
捩子ぴじん(キュレーター 手塚夏子)

6月21日(日)19:15〜
公開リハーサル

捩子ぴじん振付
「track of traces」

出演:大橋一輝 久津美太地 羽鳥嘉郎 山田かの子 若林里枝

痕跡の足跡。
そこにあるものを手がかりに、
そこにないものや、そこにいない人の像を描く。
異なる世界が交感し、交歓するためのイントロダクション。

会場:アーキタンツ
詳細:BAL

捩子さんのホームページ

様々な問題提起が持ち上がったりしました。
捩子ぴじん自身は基本的に、様々なアーティストに対する影響を迷わず作品作りにぶつけて行くという感じなので、私とは全く違うなあこれは世代の違いなのかなあ?などと思ったりしました。個人的な欲求を掘り下げるというよりはリアクションが作品を作るという感じなのかもしれない。それがいい事なのか、あんまり良くないのか、いまのところ私には全然分からないと思った。そういうもろもろとは関係なく、この作品のある要素に対して私はとても激しく刺激を受けた。そしてまだ誰とも共有できてないということにおいて、しみじみした。それ以外の様々な要素、岡田利規の作品に似ているとか構成の問題とかダンサーとの関係の取り方とかいろいろあるのだと思うけれど、すべて遠くに行ってしまった。結局はそういう事なのだと思った。誰かにとって重要なことは個人的なポイントなんだなと。ダメな時にこそ、理由が必要なのだと思った。その理由がすべて消えても、ダメだと思う人は他の理由でだめなのだと思う。

ともかく、私自身のクリエーションが変わってしまう予感がしています。そのことがキュレーターをやって一番大きかった。この公演は、ダンスシーンにとって何かの予兆となるだろうと思った。