4歳よりスパルタ式にバイオリン教育を10年以上受け続け、クラシック音楽との愛憎関係を深める。日本マイム研究所を経て、'96年2月ソロ活動開始。マイムやダンスの境界をさまよいつつ、既成のテクニックではないスタイルの試行錯誤をテーマに舞台活動を続ける。
'01年 “体を観察する”というテーマに辿り着き、自身の体を素材とし実験する作品『私的解剖実験』シリーズが誕生。また自分の足下を掘り下げ豊かな創作の根を広げるべく試行錯誤を目的とした実験公演『私的解剖実験地図』を上演。大きな作品を制作する合間にたびたび上演する。
'02年『私的解剖実験-2』でトヨタコレオグラフィーアワードに出演。体の極細部に意識を集中することで体に様々な反応を生じさせ、オペラグラスを手にした観客が顕微鏡の中の微生物のように覗き見る。同時期に行われたアサヒアートフェスティバル「水上アートバス」(隅田川に浮かぶ観光船でダンスパフォーマンス)に参加。また、同年の秋、体の細部に対する多様な命令を順番通り厳密に実行する振り付けの珍品『私的解剖実験-3』を札幌と横浜にて発表。
'03年3月、都電の始発から終点まで車内で踊る作品『私的解剖実験都電荒川線』を上演。11月、黒沢美香氏と即興で踊り、お互いが「交代」する時空間に花を咲かせる作品『ある天才少女スミレ』を初演。この頃、自身の体に起きていることが、すべて関わりのリアクションの積み重ねでできていると実感するようになり作品に変化が生じる。12月、自分が人と関わっている時、体に何が起きているか観察する作品『私的解剖実験-4』を東京見本市にて発表し、関係から生まれる微細な体の動きを模写するという、それまでとは異なる振付のアプローチを試みる。
'04年に結婚、妊娠を通して、“自分の身体そのもの”から“関わり”へと興味がシフトする。7月〈妊娠記念公演〉にて『私的解剖実験-4』を振り付け作品として上演。
'05年5月にニューヨークJapan Societyの企画『SOLO / DUO - Showcase for Emerging Japanese Dancers & Choreographers』に出演。また、魅力的なアーティスト達の手法を自分の体で試し、自分の手法を破るという実験的な試み「道場破り企画」をスタート。
'06年9月、〈オーストラリア-日本ダンスエクスチェンジ2006〉に参加。『私的解剖実験-3 リクエストバージョン』と題して、体に対する多様な命令メニューを観客に示し、好きなものをリクエストしてもらう。
'07年3月、最もプライベートな関わりの観察を通して、世界に起きていることを見つめる作品『プライベート トレース』発表。この作品から、音楽家スズキクリ氏との共同作業が始まる。同年7月、スズキクリと共に、自分の手法を逸脱する回路を探し、欲求を掘り下げ、体をチューニングする作品『人間ラジオ』を発表。また、9月にドイツ・ポーランドで開催された企画『JAPAN NOW』において、『プライベート トレース』を再演。
'03年以来、知的障碍者、一般の方々、ダンサー、俳優、音楽家などを対象にしたワークショップを行っている。